2019年9月16日月曜日

トルストイの、〝光の中あるうち光の中を歩め〟
内容はキリスト滅後100年という時代を背景に、主人公ユリウスは常に人生に心の揺れを感じつつ彷徨い、常に疑いと闘いつつ、やがてキリスト教に帰依する事となる、と、大雑把ですがそう言う物語です。

トルストイが晩年に信仰と言う大テーマをある意味直球で挑んだ作品だけに、大変重みのある作品だと思います。

物語の主題からは少しずれた観点ではありますが、今回この物語を読んで大変驚かされたのが、この原始キリスト教の戒律と、原始仏教の戒律が共通している部分が多い、と言う事です。違いはと言うと、キリスト教は、隣人、敵を愛せよ、で、原始仏教は、戒律を守りひたすら修行せよ、またキリスト教は一神教、原始仏教は神と言う物自体は存在を認めていますが、それ自体は大した問題ではなく、兎に角ひたすら戒律を守り実行する事に重きを置いています。

いづれにしても、生きる事自体大変困難な人生をいかにして生き抜くか?について箴言していますが、双方平たく言うと、嘘をつくな、とか、人を騙すな、とか、汚い言葉を使うな、とか、人を殺めるな、とか、異性と淫らな関係を持つな、とか、上から目線はそもそも間違いである、自分が上だとも下だとも思うな、だとかそんな感じです。

原始キリスト教にしても、原始仏教にしても、教義は非常にシンプルで、誰にでも理解できる内容である事も酷似しています。

仏教なんかでは、後代の物、特に大乗仏教などは、非常難解でまた解釈も様々で当然全て網羅する事など、学者専門家でもあるまいし、到底無理ですし、そもそも現代人の宗教離れもそこに原因があるとも思います。

しかし下に挙げている、スッタニパータ、などはこれまた仏滅後二三百年後に編纂された最古の仏典ですが、内容は非常にシンプルで皮肉にも分かりやすい。多分仏陀もこの様にシンプルに弟子たちに教えて諭したのだと思います。

因みに、このスッタニパータ(岩波文庫)は仏教学者で東大教授の中村元さんが研究をした、ある意味学問としての原始仏教、と捉えて読んでみるのも趣があるともおもいます。

僕の様な常に心が揺れ動く人には、何か心の拠り所と言う物が必ず必要で、そう言った人にはこの様な箴言書(僕は敢えて聖書、仏典などと重みを持たせるのではなく、箴言書くらいの気軽さで読んでいます)は大変有難く思います。

キリスト教にしても、仏教にしても、他の宗教にしても、共通している想いは、人々の平和と自然との調和、と言う事なのではないでしょうか。