2019年4月2日火曜日

白か黒か。

僕が生まれた家はいわゆるボットン便所で、どんなに家の中を清潔にしているご家庭でもなんとなくうっすら臭い匂いがしていたものです。今ではあまり考えられないかもしれませんが、完全にその匂いを消してしまうことが不可能だった訳です。

しかし昨今では、下水道の完備によりその匂いも消え、また消臭剤や除菌剤など臭いものを徹底的に排除する傾向になってきました。特に日本ではそれが顕著で、お互い匂いに関して最大限にきをつける人が多くなった。

ここで仮に臭いという事を 黒色とし無臭を白色だとすると、今の時代は限りなく白色を徹底的に追求する世の中となって来たと思います。僕が生まれた時のようにうっすらと匂っているなぞ今の時代の人には許しがたいことではないでしょうか。

しかし、匂いに限らず、昔は白黒の中間の色であるいわゆるグレーゾーンみたいな物がどの分野にも存在した。例えば飲酒運転にもグレーゾーンがあったし、赤線(合法の遊郭)ヒロポンなどがあり、街には必ずヤクザは多く存在したし、政治の世界では今では考えられないほど堂々と贈収賄が行われていた。官僚は天下りが慣例化していた。

このように日本でも何十年かまえまでは数多の限りなく黒に近いグレーゾーンが存在していた。しかし時代の移り変わりと極端な事件事故により、どんどん法律により規制していくこととなった。

善ということを盾にどんどん世論はグレーゾーンを排除してきたわけですが、その結果として人々はヒステリックにまで白色(善)至上主義となり、黒色(悪)を徹底的に叩き潰すといった攻撃性を僕はとても危惧しています。いわゆる善の傘を被っている者は徹底的に悪を排除しても良いということに。

くさいものには蓋をしろ、という諺がありますが、今の時代、臭い物は排除せよ!という感じがします。

僕は思いますが、では人は徹底的に白色な人間なんているでしょうか?と問いたい。何をするにつけ完全な白色なんて存在しない。例えば99%除菌のうがい薬で口をゆすいだところで何百万という菌は残るのと同じように、あらゆるもの事は全てグレーゾーンに覆い包まれているのは否定しようがないと思う。

その様なグレーな存在である人間であるにもかかわらず、その様な真っ白色を目指し続けて大丈夫か?と思う訳です。
既に現在の日本では、お互いがお互いを厳しくチェックしあい、もし黒色を発見しようものなら、善という盾を武器に徹底的に悪叩き潰しても良いというヒステリックさを感じます。

わかりやすい例で言うと、先日捕まったピエール瀧氏に対する世の反応はそれらを物語っています。

今の日本は、若い人の自殺率が世界一という記事を見ました。

そういった悲しい出来事と、先に述べた白黒の話は、関係のないこととは僕には到底思えません。


幸せ度ランキングでは日本は58位で先進国ではダントツの底順位。元号が令和と変わりましたが、世の中が良くなってゆく様には到底僕には思えません。