2020年8月17日月曜日

権力について。

世界の歴史は、ごく一部の権力者の好みと気まぐれで更新されている。 人は彼らの好みと気まぐれによって翻弄され続けて行くしか無いのか? 本来人間はどんなに優秀な人であっても、大統領であっても、教皇であっても、その辺にいるおじさんであっても、僕はさほど知能と理性の質に大差は無いと思う。誰しもが不完全で、愚人だと思っている。しかし実際はその国の、その宗教の、その会社の不完全な権力者によってハンドルをにぎられている。彼らがハンドルを右にきれば、確実にその車は右に曲がって行く。 いつの世も、不完全で愚人がハンドルを握っている事を忘れてはならない。 全く安心して暮らせた時代など未だかつて無かったのではないだろうか。何故ならば、安心しているその同じ時にも不完全な権力者によって右に曲がるか左に行くか、危なっかしい運転はされ続けているからです。 かつてギリシャのポリスでは、いわゆる市長は短い期間に交代制で変わっていったと聞いた事がある。いわば当番制です。だから市民はその市長に対し特別な権力や畏怖は全く感じていなかったらしい。(勿論奴隷制度があったからこそ市民生活は保証されていた事は忘れてはならない)そこには政治をする義務はあったけれども権力は無かったと言えるのでは無いだろうか。 もう一つ心配している事がある。 今の世の中はとかくスピードを求める。それは会社であれ教育であれ、国のあり方であれ、また実際に変化するスピードも年々早くなってきている。このスピードを求める世の中で一番求められるのは何かというと、これは絶対的なリーダーシップ、つまり絶対的な権力だと思う。実際に日本では憲法一つ変えるのにも長い時間がかかるが、例えば独裁国家であれば一瞬にしてルールは変わる。スピードを求める事は、同時に独裁的権力を求める気運になりはしないだろうか。心配している。 結論として僕は絶対的な権力など世の中に全く必要無いと思っている。 不完全な人たちによって今日も危なっかしい運転はされ続けている事を忘れてはならないと思う。