2019年11月21日木曜日

心の拠り所、について。

先進国では精神的に病んでしまった場合、一般的に西洋医学に頼るしか術が無い、つまり精神科なり心療内科で治療を受ける場合が多い。 西洋医学の薬は、例えば風邪薬だと症状を緩和させているのみで、ウイルスは自分の免疫力によって回復に向かわせる。 これは精神科などで行われている治療にもあてはまる。つまり精神科で処方される精神薬は何か心の病に対しその苦しみを緩和させている(つまりごまかしている)に過ぎず、根本的な病みのCoreは存在し続ける。先に述べた風邪だとウイルスに対し最終的には自身の免疫力で回復する。では、精神病の場合そのウイルスに相当する心の病を根本的に治してくれるものは?? 物理的に存在しているウイルスに対し、存在が見えない精神的病は、ウイルスをたたいて治す的な治療が不可能。それははまるで幽霊と戦っているようなものです。 ではその病を回復に向かわせるのは何か?と言うと、僕の経験からすると、心の拠り所、つまり病の濁流に流されない〝しっかりとしたつかまるための太い樹〟これにつかまっていたら大丈夫、と言う〝つかまるもの〟が必要でした。 ところで、現代人は数値化できないものを日に日に信じなくなっている。全ては数字で評価し、数字のデカイものが勝利者で少ない者は敗者にならざるを得ないと言うのが現実と言っても過言ではない。 一方で、皮肉にも数値化できない〝精神的な闇〟は深刻さを増す一方です。実際に僕の周りにもその波は10年前と比べても圧倒的に深刻化しています。 その物理的に存在しない問題に対しではどの様に乗り越えて行くのか? その問題に対し昔から宗教や哲学があるし、みなそこに答えを求めようとしてきた。 最近インド人の若者と話しをした時の大変印象的な話しを聞いた。彼の話しによると、最近のインド人の若者は、彼らの大半が信じているヒンドゥー教を確かに信じてはいるが、かと言って親世代のそれとは違う。確実にもっと現実的な物を信じるようになってきているらしい。 特にビックリはしなかったものの、やっぱりか、、と思った。 先程も述べ様に現代人はどんどん数字を信じる様になってきている。しかし現代が抱えている問題はむしろ数字で解決出来ない、〝物理的に存在しない存在〟つまり心の混乱は益々盛隆する事となるだろう。 益々存在が希薄になる宗教なり哲学、まして宗教に対し希薄にならざるを得なかった日本人は、精神的混乱をそれらに救いを求める事は難しいと思う。 だったらせめて、おりおり、自分にとって最も身近な〝存在しない存在〟であるご先祖に手を合わせ思いを馳せる時間が一日のうちほんの数秒あるだけでも何か心の拠り所を、濁流に流されない〝もつところ〟を感じるのではないかと思う。

2019年11月8日金曜日

ジャジャジャジャーーーン

経験から言える事ですが、編曲と言うジャンルは、要はどれだけ勉強したか、もっとわかりやすく言うと、どれだけのデータ量を持っているかが勝負だと思う。(もっともそれをどれだけセンスよく扱うかと言う問題はありますが)よって編曲家と名乗っている人に専門知識の無い人は世の中に存在しない。 では作曲はと言うと、これは、特にモチーフ(冒頭の素材、例で言うと、ベートーベン交響曲第五番の運命のジャジャジャジャーーーン)はその人のある種独特の、クレージーな、どうしようもないkarmaがそこに投影される。つまり作曲と言う行為は、その人そのものと言う事になる。モチーフは取り繕う事が不可能が故、その人そのものが音に入魂される。 勿論作曲もおおいに専門知識を必要としますが、しかし肝はやはり最初の ジャジャジャジャーーーンです。 そう考えると、編曲と言う作業はデータ量が勝負だと仮定すると、AIでも出来る事となる。これはオーケストレーションにも言える。例えば、これはワーグナー風、これはジョンウイリアムス風、これは武満風、の様に。 そう考えると、これからの作曲の生業とは、どれだけ勉強するか、もしくはどれだけクレージーになれるかにかかっているのではないかなどと考えてます。 僕はやはりジャジャジャジャーーーンに人生を賭けたい。