手放しで喜ばなくなったもう一つの理由は、
仮に何かがたまたま上手く好転して、自分は幸せだと思ったとしても、自分の友人や知り合いの人、またそのご家族が絶望の淵に立たされて、生きる事に疲れてしまっている人がいる事を考えると、その幸せだと思う気持ちは利己的な幸せであって、真の幸福とは言えない。
僕の周りにも絶望の淵に立たされて、生きる事に疲れている人がいる事を忘れて、一人で、自分は幸せだと思う事自体、単に鈍感な人間、と言えるのでは無いか。今も僕の周りに人生に絶望している人が事実いる。
僕が絶望していた40代の頃思ったのは、
世の中には二種類の人間が存在する、つまり明るく幸せそうな人々と、 絶望した自分。
自分以外の人は幸せなんだろうな、と思い孤独感の暗闇に立っていた。
人々の幸せそうな姿は、より自分の孤独感を増大させた様に思う。
そんな経験から、手放しに喜ぶ事が出来なくなったんだと思う。