2016年1月4日月曜日

音楽という言葉について。

音楽とは、音を楽しむ事。などということを、今まで何度と無く耳にしてきた。なるほどと思う反面、何時も多少なりとも違和感を持ち続けてきた。歴史的に見ると、例えば西洋においては、大雑把に言うと、ピタゴラスの音律の時代からルネッサンス以前の約2000年の長きにわたり、音楽は数学や哲学と非常に関係性のある学問であった。また世界的に見ても、あらゆる宗教的な神事、奉納として存在してきた。バロックの時代は主に王侯貴族のステータスのために存在し、現在イメージされているエンターテインメント的存在からは程遠い。しかし、18世紀末のフランス革命以降、一般庶民に広く浸透しいわゆる娯楽性、イコール楽しむものとしての存在感を資本主義的考え方と共に強めていった。一例をあげれば、後期ロマン派におけるオーケストラ編成の拡大化や、フランスにおけるグランドオペラ、ビルチュオーゾといわれた作曲家の超絶技巧による、聴衆をあっと言わしめるスペクタクルな手法は、はっきりとそのエンターテインメント性をうかがいしることができる。パトロン不在に陥った当時の音楽家は生き抜いてきた。そのような約200年の経過を経て、今やそのエンターテインメントとしての音楽がほとんど世界を支配していると言っても言い過ぎではないと思う。僕自身もまたその中で生きてきたし、勿論否定すると言うより十分な存在意義があることは、周知の通りです。 
しかし、たかだか200年の価値観が現在の音楽の有り様を支配しているのは少しバランスが悪いと思う。楽しむ、感動するといったことも生活の中では大事な事かもしれないが、僕がイメージする音楽存在意義は、それだけではなく、人間の奥底に潜在する意識を整えるもの、自然の摂理を呼び起こすもの、いわばエンターテインメントとしての音楽以前に広く考えられてきた音楽の有り様というものも忘れてはいけないと思うし、また自身の大きなテーマとなると思います。