2019年12月12日木曜日

謝る について。

近頃、コンプライアンスの強化に伴い、所謂お偉方の謝罪会見を目にする機会が多い。 白髪頭の壮年期の大人が深々とお辞儀をする。それを見るたびに、僕は何か欺瞞というか違和感を常にかんじる。なんでそんなに深々と頭を下げる必要があるのか、と思う内容が多い。 日本では小さい頃から「素直に謝りなさい、謝れる人間になりなさい」などと教育されてきた。一種のコミュニケーションツールとしての 謝る そのものは度々軽々しくむしろ便利に使われる。そんな土壌にあっては、〝謝る〟事の出来ない人間は日本では住みにくいに違いない。 しかし僕は逆に、簡単に謝る人をあまり信用出来ない。何故かと言うと、そもそも謝るという行為は、自分の信じている何かを自ら覆す行為でもあるからです。それは恥ずかしい思いをすると同時に公然と自己否定を表明する事となるからです。 考え過ぎなのかもしれませんが、僕はそれくらい 謝る と言う行為には僕には覚悟のいる事です。 先に述べた様に日本では謝る をコミュニケーションツールの一つの様に軽く使う場合も多々あり、所謂 excuse me! のノリで簡単に謝る。しかしこれは多くの場合 欺瞞であると僕は思う。 謝るという行為は、ある意味相当な覚悟を持っての行為でもあり、またそう言う態度こそ他者に対する敬意につながっているのでは無いだろうか。