2019年11月8日金曜日

ジャジャジャジャーーーン

経験から言える事ですが、編曲と言うジャンルは、要はどれだけ勉強したか、もっとわかりやすく言うと、どれだけのデータ量を持っているかが勝負だと思う。(もっともそれをどれだけセンスよく扱うかと言う問題はありますが)よって編曲家と名乗っている人に専門知識の無い人は世の中に存在しない。 では作曲はと言うと、これは、特にモチーフ(冒頭の素材、例で言うと、ベートーベン交響曲第五番の運命のジャジャジャジャーーーン)はその人のある種独特の、クレージーな、どうしようもないkarmaがそこに投影される。つまり作曲と言う行為は、その人そのものと言う事になる。モチーフは取り繕う事が不可能が故、その人そのものが音に入魂される。 勿論作曲もおおいに専門知識を必要としますが、しかし肝はやはり最初の ジャジャジャジャーーーンです。 そう考えると、編曲と言う作業はデータ量が勝負だと仮定すると、AIでも出来る事となる。これはオーケストレーションにも言える。例えば、これはワーグナー風、これはジョンウイリアムス風、これは武満風、の様に。 そう考えると、これからの作曲の生業とは、どれだけ勉強するか、もしくはどれだけクレージーになれるかにかかっているのではないかなどと考えてます。 僕はやはりジャジャジャジャーーーンに人生を賭けたい。